インタビュー:ビクトリノックスな人々 プロスキーヤー 三浦雄一郎
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大きな夢も、小さな一歩から。
白銀に夢を追い続けて。

何本か愛用しているものの一つ
未知なるものに挑戦したい。
 私が生まれたのは青森県八甲田の麓で、根雪になると、春まで白一色に閉ざされる、連続テレビ小説『おしん』と変わらないような環境で育ちました。やることといったら雪の上で滑ったり転んで遊んだり、雪と仲良くすることでした。雪が消えると、山菜採りに行ったり、海で魚や貝を獲ったり、海藻を拾ったり。一年中、自然に囲まれて生活する日々でした。その中で体験した雪山のスケールの雄大さ。ごく自然の成り行きでスキーヤーになり、歴史上だれもやらなかったことにチャレンジしたいという思いを貫いてきた結果、気がつくとプロフェッショナル山岳スキーの草分けになっていました。
雪があれば、滑ってみたい。
 戦後まもない頃、リフトもロープウェイもない八方尾根や志賀高原でもスキーを楽しみました。北大のスキー部に入って、米軍のスキーコーチをやったりしていましたが、当時、日本人は、リフトを自由に利用できるという環境にありませんでした。練習のために重いスキー板をかついでシャンツェを何回も登るのですが、「歩いて登ることに意味があるんだ」なんて、やせ我慢の先輩に叱られたりしましたね。もし、もっと自由にリフトを利用できたら、日本のジャンプ界の全盛期は、10年か20年は早まったのではないかと思いますね。私の場合、ジャンプ、クロスカントリー、アルペン、全部やっていました。一つの種目に拘束されるより、オールマイティにやってみたい。そこに雪があれば滑ってやろう。これが八甲田仕込みのアドベンチャースキーの原点です。
「初めて見たとき
カルチャーショックを受けました」

豪太とともに、エベレストを滑る


70歳を超えてエベレスト登頂に成功

宝石のような輝きを放っていた。
 1960年代の半ばでしょうか、ヨーロッパに遠征したとき、確かジュネーブのショップでビクトリノックスを初めて手にとって、「こんなおしゃれで便利なものがあるのか」と、カルチャーショックを受けたことを覚えています。それまでの私にとってナイフというのは肥後の守で、山に行くときの道具はナタや鎌でしたからね。ビクトリノックスにはワインオープナーやハサミ、いろいろなツールがいっぱい収められていて、まさにヨーロッパの生活道具一式が手のひらに収まっている印象を受けました。高度成長期前の貧しさから這い上がろうとしている当時の日本人の目からみれば、ほれぼれする宝石のような輝きを放っていましたね。
ヤスリでスキーエッジを調整。
 以来、ビクトリノックスは私のアドベンチャースキーを支える必需品になっています。2003年、父の白寿記念にモンブランのヴァレブランシュ氷河を、親子三代で滑走したことがありました。そのとき、雪の状態が予想以上に軟らかくてスキーエッジが雪面にひっかかり、父のスキーが思う方向にコントロールしづらいというアクシデントが起きました。そこでビクトリノックスのヤスリを取り出し、立ち過ぎていたエッジを調整したら、うまく滑れるようになりました。もし、あの場にビクトリノックスがなかったら、父は地元の方々にも賞賛されたあの偉業を達成することはできなかったかもしれません。
山では何が起きるか分からない。

 今回のチョモランマ遠征でも、ビクトリノックスのナイフが活躍しました。吹雪になっても来た道を見つけやすいように、何メートルか置きに長い竹の棒を刺して山を登っていくのですが、その竹の棒の先を、ビクトリノックスのナイフで切って削って箸を作りました。なかなかの出来栄えでしたよ。山ではいつ何時どんなことが起きるか分からないから、みんなで知恵を出し合って、その場をしのぐのです。そのほか、ビンディングの調整をしたり、水をつくるために氷を切り出したり、思わぬ場面で役に立つこともあります。ビクトリノックスをうっかり忘れると、山で必要な道具の大半を忘れてきたような気持ちにさせられますね。

低酸素室でトレーニングの日々。
 2003年、70歳でエベレスト登頂に成功しました。2008年には、中国側からチョモランマ登頂の計画を立てています。今回はその第一ステップで6500mまで登って、高度順応と偵察を兼ねたトレーニングを行ってきました。このプロジェクトの成否を分けるのが、高度順応です。私のオフィス内に5800mまで高度順応トレーニングできる低酸素室が備えてあって、高地に行く前には数ヵ月前から必ず毎日のようにトレーニングします。どんなに大きな夢も、最初は小さな一歩から。地味で退屈な毎日の繰り返し、一歩ずつ、時間をかけてこなしていくことが大切です。
日本の若者よ、チャレンジせよ!
 私が若い頃、日本はモノがなく貧しかったけれど、冒険心にはあふれていました。今、ヒマラヤや海外の高い山に行って驚くのは、中国、韓国、そしてインド、それから東南アジアの国々など、これから伸びようとする国の若者が多いこと。もしかすると、若者に冒険心があるかどうかで、その国の活力が測れるのかもしれません。日本の若者よ! 未知なる世界に立ち向かい大いなる夢にチャレンジせよ、と言いたいですね。

ヴァレブランシュ氷河を親子三代で滑走


「若者よ、チャレンジしてほしい!」


三浦雄一郎(みうら・ゆういちろう)
1932年、青森市生まれ。北海道大学獣医学部卒業。1964年イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加、時速172.084キロの当時の世界新記録樹立。1966年富士山直滑降。1970年エベレスト・サウスコル8,000m世界最高地点スキー滑降(ギネスブック掲載)を成し遂げ、その記録映画 [THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST] はアカデミー賞を受賞。1985年世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。2003年次男(豪太)とともにエベレスト登頂、世界最高年齢登頂記録(70歳)樹立。『高く遠い夢』(双葉社)など著書多数。
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